管理人の独り言
09年7月

29日

麻生の発言は失言ではなく、ぶれずに信念を、一貫して発言しているのだ?

投票日を明日に控え、真夏の長〜い選挙戦も、立候補者たちにとっては、泣いても笑っても今日一日となりました

そんななか、小泉元総理になり代わり、『自民党をぶっ壊す?』を完遂しつつある、麻生前総理→もとい、麻生残留総理→もとい、麻生まだいたの総理→もとい、麻生今日でお別れ総理

に敬意を表して、

巷間言われている、アホウ太郎の失言・暴言は、実は、麻生の本心であり信念であり、その点だけは、ぶれていない事を、本人になり代わり証明いたします()

麻生が行く所、『失言・暴言あり』が定説となっております()

が、この不変の法則は、選挙期間であろうが、なかろうが、変わらない事を証明し、ぶれずに、有権者に、アピールし続けたアホウ太郎は、ある意味、信念の人として立派です()

ただ、KYなだけだ!!と言う人もいますが・・()

しかし、選挙になると、今までの威張り腐った態度を豹変させ、土下座までする政治家がいるなかで、麻生の一貫した発言は、まことに、見上げたもんだよ屋根屋の褌(ふんどし)です()

それでは、麻生の発言で、世間が言う失言・暴言を、時系列的に並べてみましょう

部落出身者、女性、病気の人、アジア各国の人などに対する人種差別、ホームレスの人々を見下した発言等、差別意識、社会経済弱者蔑視に凝り固まった、冷酷な人間だと納得できるでしょう・・

1979年『下々の皆さん
衆議院選挙に初出馬した時の演説で、登壇して開口一番、支援者に対して「下々の皆さん」と発言したことは語り草となっている
また、当選後に「将来の総理大臣」というマスコミに対して「年寄り代議士が何人か死ねばね」と応えている

1983年2月9日『国が婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった
高知県議選の応援演説にて「東京で美濃部革新都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」と、国が女性に参政権を与えている事を批判した

2003年9月11日『部落出身者を日本の総理にしていいのか
シンポジウム「今こそ部落問題を語る?特別措置法の功罪について考える」にて、講師として招聘された野中が、麻生の差別的発言について語った
それによると、麻生が大勇会の会合で「野中のような部落出身者を日本の総理にしていいのか」と発言した
野中は大勇会会員3名からその発言内容を確認したという

2003年10月20日『ホームレスも糖尿病という時代ですから
ホームレスについて、「新宿のホームレスも警察が補導して新宿区役所が経営している収容所に入れたら、「ここは飯がまずい・・と言って出て行く、豊かな時代なんだって、ホームレスも糖尿病という時代ですから」と発言し、事実に反する上に差別的であるとして、各地の日雇い労働者および野宿者支援組織などから抗議を受けたが、翌日の会見で改めて趣旨を説明したものの撤回等はしていない

2005年10月15日『一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない
総務大臣在任中、この日に開館した九州国立博物館の開館記念式典での来賓祝辞の中で、「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と発言
同博物館は選挙区は異なるものの麻生の地元である福岡県内にあり、しかもその展示内容は日本とアジアの交流の歴史から、文化の多様性を示すものである
この発言は、アジア各国からは、日本人の優越性を誇示し、アジア各国の民族を卑下した発言と受け止められた

2006年1月9日『会議途中でそのままお葬式になると意味がないので延期ということになった
福岡県飯塚市で開いた集会で、シドニーで予定されていた日米豪閣僚級安全保障対話が延期されたことに関連し、「シャロン首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお葬式になると意味がないので延期ということになった」と述べ、配慮を欠くとの批判を浴びた

2007年7月19日『アルツハイマーの人でもわかる
富山県高岡市内で講演会において、国内外の米価を比較する例えとして「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか、アルツハイマーの人でもわかる」と発言
これについては野党からの反発はもちろん、与党からも参院選に悪影響だと懸念され、塩崎恭久内閣官房長官からも「適格性を欠く」と批判された
翌7月20日に謝罪した上、撤回した

2008年9月14日『安城や岡崎だったからいいけど
JR名古屋駅前での自民党総裁選候補としての街頭演説の中で、前月に岡崎市など愛知県内で3人の死者を出した平成20年8月末豪雨に関して、「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった
安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ」と被災地域を軽視した発言を行った
これに対し岡崎・安城の両市と岡崎市議会は麻生側に抗議文を郵送
同17日、麻生側は「不用意な発言で不快な思いをさせたことをお詫びし、復旧についてできる限りのことをする」との趣旨の謝罪文を、岡崎・安城の両市に送付した
(補足)安城や岡崎だったからいいけど・・・・とありますが実際決して戻らない命が失われていますし、多くの人が被害にあって苦しんでいます。安城や岡崎のような田舎(都市に比べて)ならどうでもいいという風にとれます

2008年11月19日『医師は社会的常識がかなり欠落している人が多い
全国知事会議で地方の医師確保について「自分が病院を経営しているから言うわけじゃないけれど、大変ですよ、はっきり言って、医師は社会的常識がかなり欠落している人が多い」と語った
さらに「(医師不足が)これだけ激しくなってくれば、責任はお宅ら(医師)の話ではないですかと、しかも『医者の数を減らせ減らせ,多すぎる』と言ったのはどなたでした、という話を党としても激しく申しあげた記憶がある」と続けた
その上で、医師不足の一因とされる臨床研修制度の見直しなどに取り組む考えを示した

2008年11月20日『たらたら飲んで,食べて何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ
麻生太郎首相は、20日の経済財政諮問会議で「たらたら飲んで,食べて何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」
と自ら発言したことについて「気分を害された方がいるならおわびする、予防を全く考えないのはいかがなものか」と釈明した・・
(麻生総理は自分は高額納税者だということで,その金が高齢者医療に使われるのが嫌という意味のようだ
税金は私たちも払っているし、保険料も支払っている
計算すれば損をしている
それは麻生さんだけじゃない
一国の総理がそういったら、みんなが言い出すでしょう
つまり本音は「病人、障害者は自分で医療費を払え」ということで『公的医療保険制度』の否定そのものだ)

2008年12月19日『目的意識をはっきり持て
ハローワーク渋谷(東京都渋谷区)を視察した
失業し、再就職の相談に来て、「とにかく六本木などで働きたい」と発言していた若者に、「今まで何してたんだ?新しい仕事というのは『これがやりたい』と言わないと、相談される方も『何かないですか』と言われても困る、何がやりたいか目的意識をはっきり出すようにしないと、就職というのは難しい」
と話しかけたところをTBSのニュース番組で報道された
この発言に対し、鳩山由紀夫は「誠に的はずれだ」
「なかなか自分の思い通りの仕事が見つからない状況だからこそハローワークで探そうとしている」と批判した
ほかに同ハローワークを訪れていた相談者は麻生の言葉を受け、「“何でもいいから仕事がほしい”というのが普通のこと、首相がそういうことを言うのはどうかと思う」、
「職があれば良いというレベルです、私の場合は」、
「今の不況の中では仕事を選べないところもあるから」とインタビューで答えていた

2009年8月25日『高齢者は働くしか能力がない
麻生は、横浜市で開かれた日本青年会議所の会合で挨拶、高齢化社会に触れた際「高齢者は働くことしか才能がない」
「80歳過ぎて遊びを覚えても遅い」
と、高齢者をからかうような発言をした

2009年8月26日『あわてて思い出した?
愛知県内の岡崎市や安城市などに大きな被害を出した昨年8月末の豪雨について失言した麻生太郎首相は26日、岡崎市内のショッピングセンターで、自民党前職の応援演説に立ったが、演説開始10分以上も失言にふれず、周囲に示唆されて初めておわびした
聴衆からは「完全に忘れていたんだろう」と失望の声も上がった
岡崎市の演説で麻生首相が謝罪したのは、演説の終盤、周囲に肩をたたかれて一瞬戸惑った後、「一番最初に言おうと思っていたが、すっかり忘れて、すいません
昨年の豪雨の話、ちょっと今あわてて思い出しました。申し訳ありませんでした」と陳謝した
麻生首相は昨年9月、名古屋市であった党総裁選立候補者による街頭演説で8月末豪雨に触れ、「(豪雨が)安城や岡崎でよかった」などと失言
批判が集まり、岡崎市長が抗議文を送り、首相側は謝罪文を返していた
応援を受けた自民前職は、事前に陳謝するよう首相側に申し入れていたことを明かした上で、「演説に入り込んで忘れてしまったのだろう
十分なおわびだったと思う」とかばった
麻生首相はこの日午前、岡崎市に先立って行った安城市内の演説では、8月末豪雨にはふれず、景気対策の成果や安全保障面について訴えた

2009年8月27日『あの時ほど暗いですか?
大苦戦を強いられている自民党の野田聖子消費者担当相の応援に来た麻生が頓珍漢な演説をぶちかました
JR岐阜駅前に集まった約1000人の聴衆を前に、聖子氏が必死の形相で訴えた
「聖子危ない、ということで麻生総理が日程を変更して、私のために急遽、岐阜市においでいただきました」
マイクを受け、麻生は、「景気が悪いから暗い話をする人が多い。しかし64年前は日本中が焼け野原だった。あの時ほど暗いですか? そんなことないでしょうが」と演説した
「あの時ほど暗いですか?」って
64年前の事は、ほとんどの有権者にとって歴史上の事でしょう・・
あんたも幼児の時代の話でしょう・・
終戦時に比べて景気は明るいでしょうなんて言われても、比較のしようがないでしょうが・・

以上、『麻生の主張』は、お仕舞い!!()

管理人が見落とした、麻生の立派な主張?は、まだまだ、あると思いますが、きりがないので、この辺にしておきます()

管理人のような一般人が、居酒屋で、ほざいている分には、特に問題はないでしょうが、
一国のトップの発言としては余りにも、軽くて情けない麻生の発言です

次期総理になるであろう鳩山民主党代表には、国民目線の政治をしてもらう事を願って、投票しようと思っています

それでは、今週の最後に、恒例の替え歌で締めさして戴きます()

作詞・作曲・歌
吉田 拓郎

『今日までそして明日から』

替え歌『今日まで総理そして明日から

わたしは今日まで総理でいました
時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで総理でいました
そして今 わたしは思っています
明日からは
野党で生きて行くだろうと

わたしは今日まで総理でいました
時にはだれかをあざ笑って
時にはだれかにおびやかされて
わたしは今日まで総理でいました
そして今 わたしは思っています
明日からは
野党で生きて行くだろうと

わたしは今日まで総理でいました
時にはだれかにうらぎられて
時にはだれかと手をとりあって
わたしは今日まで総理でいました
そして今 わたしは思っています
明日からは
野党で生きて行くだろうと

わたしには わたしの生き方がある
それはおそらく自分というものを
知ることから始まるものでしょう

けれど それにしたって
どこで どう変わってしまうか
そうです わからないまま生きてゆく
明日からの そんなわたしです

わたしは今日まで総理でいました
わたしは今日まで総理でいました
わたしは今日まで総理でいました
わたしは今日まで総理でいました

そして今 わたしは思っています
明日からは
野党で生きて行くだろうと

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